アイスピックのようなもの

読んだ本の感想なり、なんなりを書いてゆく

1月に見た映画

・「フィラデルフィア」 ジョナサン・デミ

・「キャリー」 ブライアン・デ・パルマ

・「ある愛の詩」 アーサー・ヒラー

・「インサイダー」 マイケル・マン

・「コラテラル」 同上

・「スパングリッシュ」 ジェームズ・L・ブルックス

・「バトル・ロワイアル」 深作欣二

・「害虫」 塩田明彦

・「ザ・ロイヤル・テネンバウム」 ウェス・アンダーソン

・「アビエイター」 マーティン・スコセッシ

・「三重スパイ」 エリック・ロメール

・「アメリカン・ジゴロ」 ポール・シュレイダー

・「アウトレイジ」 北野武

・「その土曜日、7時58分」 シドニー・ルメット

・「プレステージ」 クリストファー・ノーラン

 

と、順不同に並べたところ15本だった。

1月は忙しいから、比較的少ないなあ。作品が偏ってきたけれど、もっと新しい監督のを開拓していきたいところ。あと、害虫とかバトル・ロワイヤルとかはこれまで見ようとして見なかった。まあいい機会だし、見ておこうかと。

一本一本にコメントをつけるべきだろうけど、それはまた来月からにしよう。

 

 

 

世界の翻訳事情(1)

英語圏における翻訳者の役割は低い。なんとベビーシッター並みの賃金しか得られないのだという。ベビーシッターといえば、ティーンエージャーの女の子が近所の赤ん坊のお守をして小遣いを稼いでいるというイメージしか無い。あるいは、怪我でもさせてしまい白人に烈火のごとく怒られているヒスパニックの移民とか。そのため、アメリカやイギリスで翻訳者になろうとすれば、本業で稼ぎながら副業的にやるか、学者になるしかない。

 

それと比較すれば、日本は翻訳者に優しい国だといえる。「Is That a Fish in Your Ear?」では日本の翻訳業界について次のように述べられている。

 柴田元幸は疑うまでもなく日本国内で最も有名な英語翻訳者である。出版社からは「柴田元幸翻訳コレクション」が出版され、本屋ではそれを置くための本棚が用意されている有り様だ。単に彼の名前が本の表紙に載っているだけではなく、著者名と同じ大きさの活字で印刷されているのだ。

 日本における文芸翻訳家の地位は、英国や米国の作家たちのそれと何ら遜色が無い。誰でもよく知っている作家めいた翻訳家は大勢おり、『翻訳列伝101』という有名人ゴシップ本まで存在している。(p.303)[私訳]

柴田元幸翻訳コレクション(The Shibata Motoyuki Translation Collection)」なんてのが実際に存在するかはともかくとして、「柴田元幸」は海外文学好きにとって既にお馴染みの名前だろう。これまでに多くの翻訳物を手がけ、村上春樹訳の監修者や雑誌の編集長、書店での朗読会までこなす八面六臂の活躍には敬意を表するしかない。個人的には、スティーブ・エリクソンリチャード・パワーズなどの作品でお世話になった人でもある。

 

とはいえ、さすがに原著者と翻訳家の印字サイズが同じってことはないでしょう、と思ったら意外と背表紙を見てみるとそうなっているから不思議である。試しに手元にあったペンギン・ブックスの翻訳物を調べてみると表紙には翻訳者の名前は無く、本を開いた1ページ目にある題名の下に小文字で記されているのみだった。何たる待遇の差……

 

 

Is That a Fish in Your Ear?: Translation and the Meaning of Everything

Is That a Fish in Your Ear?: Translation and the Meaning of Everything

 

「闇の左手」

 Light is the left hand of darkness

and darkness the right hand of light.

Two are one, life and death, lying

together like lovers in kemmer,

like hands joined together,

like the end and the way.

 

アーシュラ・K・ル=グウィンは日本ではスタジオ・ジブリが映画化した「ゲド戦記」でおなじみですね。そうしたファンタジーだけでなくSF小説も沢山書いていて、有名な作品の一つが「闇の左手」でハヤカワ文庫から小尾芙佐訳ででています。両性具有の人類が登場することからフェミニズム的な観点からも高く評価されているようです。

 

本作のテーマは一言で言うと共存です。主人公はエクーメン(Ekumen)という宇宙連合から「冬(Winter)」という星に派遣された使者で、異なる星々の間に友好関係を結ぶ任務を遂行していきます。また、その星の住人たちは両性具有者であり、年がら年中発情期の人間とは違って、ケンマー期(kemmer)を除けばそうした欲望に突き動かされることはありません。こうした男女や異世界の間にある二項対立がどのように調停されるのか、共存できるのかが物語の大きな問題となって主人公に立ちはだかってゆくのです。

 

引用した文章は「冬」の星に伝わる詩、題名の元になっているものです。意味としては次のようになります。(私訳)

 ”光は闇の左手

 そして闇は光の右手。

 二つは一つなり、生と死は、共に横たわり、

 さながらケンマー期の恋人であり、

 互いに握りあった手であり、

 行く先と行く路のようである。”

私たちは結局のところ二項対立的にしか物事を理解できないのですが、こうした一元的な世界が存在し、またそのように思考できる回路を(再)発見させてくれるのがSFの面白さであり、この作品の良さなのだと思いました。

とりあえず